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後牟田遺跡

記事ID:0005416 更新日:2021年5月20日更新 印刷ページ表示
11 住み続けられるまちづくりを

後牟田遺跡

後牟田遺跡の概要と位置

 後牟田遺跡は、川南町の中心街から北に約1kmの舌状台地の先端部に広がっています。

 後牟田遺跡では、後期旧石器時代(約4万年前)から縄文時代早期(約8千年前)の長い間、人類の生活の跡がほぼ切れ目なく確認することができており、

明らかになっていない部分の多い、中期旧石器時代から後期旧石器時代への過渡期にかけての文化の流れを知る手がかりをもっているという点が特に重要視されています。

 現在、宮崎県内で最も古い遺跡とされています。

 後牟田遺跡の位置(Googleマップが開きます。)<外部リンク>

後牟田遺跡位置

これまでに行われた調査について

 平成5年9月、川南町では道路の新設と住宅団地用地の造成が計画されており、それに伴って後牟田遺跡の確認調査が行われました。

 確認調査の結果、縄文時代の集石遺構と思われる、赤変した尾鈴山酸性岩類が検出され、本発掘調査を行うこととなりました。

 

 本発掘調査は、道路新設部分については平成5年11月から平成6年2月まで、住宅用地部分については平成6年2月から同年6月まで行いました。

 その後も、平成11年3月まで、第4次にわたる調査を川南町教育委員会が主体となって行いました。

 

 これらの調査の結果、霧島イワオコシ直下までほぼ連続して遺物が検出されるなど、九州考古学会をはじめとして、後牟田遺跡の重要性が広く認識されるようになりました。

 さらに詳細な調査が必要であるとして、別府大学の橘昌信教授を団長、東京大学の佐藤宏之助教授(当時)を副団長とする後牟田遺跡調査団が結成され、

平成11年3月15日から24日まで第5次調査が、平成12年2月25日から3月15日まで第6次調査が行われました。

 調査の結果、霧島イワオコシ上部の第8層では、礫群もしくは配石遺構と思われる礫の集中が見られ、姶良岩戸テフラの下では、性格不明ながら土坑が検出されました。

後牟田遺跡基本土層 ※各層の色はイメージです。

後牟田遺跡土層

発掘調査地点と出土品

 第1次から6次にわたる調査では、3,000点余りの資料が出土しています。

 調査地点と、各調査地点での出土資料点数は、以下のとおりです。

後牟田遺跡調査図

 後牟田遺跡出土の資料は、焼けた礫や炭化物があることから、火を使った人類の生活を読み取ることができます。

 また、石皿・磨石・敲石など重量のある石器が多く、剥片石器は削器の仲間が主体となることから、植物質食料を重点的に利用した生活が存在したと思われます。

 

 なお、中期旧石器時代にあたる第5文化層から出土した資料は、それらが人類の所産であるかどうか、現在も議論がなされています。

 

さらに詳しく知りたい方は

 これまで行われた第1次~6次調査の成果については、1冊の調査報告書にまとめられています。

 全国遺跡報告総覧(奈良文化財研究所)<外部リンク>でご覧いただけます(容量が大きいので、ご注意ください。)。

 

 また、後牟田遺跡の出土資料の一部は、川南町立図書館に展示しております。

 町内で出土した貴重な資料を展示しておりますので、ぜひお越しください。