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川南町の文化財

記事ID:0001502 更新日:2022年4月1日更新 印刷ページ表示
11 住み続けられるまちづくりを

国指定文化財

名称 種別 指定年月日 説明
宗麟原供養塔 宗麟原供養塔の画像 史跡

昭和8年2月28日

 天正6年(1578年)11月12日に大友宗麟率いる5万人の軍勢と、島津義久率いる4万人の軍勢が激しく戦い、両軍合わせて7千人が戦死したと言われている。

 この供養塔は、7回忌にあたる天正13年に、島津の高城(現:木城町)城主の山田新介(有信)が、敵味方の区別なく戦死者の霊を慰めようと建てたものである。

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川南古墳群 川南古墳群の画像 史跡 昭和36年2月25日

 標高60m程度の国光原台地の南に位置する古墳群であり、4世紀から6世紀末にかけて造られた。

 現存している古墳49基のうち24基が前方後円墳であり、その占める割合が非常に高い。最も大きいものは39号墳であり、長さ113mである。多くの古墳で昭和4年頃に盗掘の被害に遭っている。

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川南湿原植物群落 川南湿原の画像 天然記念物 昭和49年6月11日

 川南町のほぼ中央に位置する新橋地区に広がる湿原である。植物の種類は78科298分類で、そのうち湿生植物が110種類、そのうち約50種類が希少植物である。

 平成元年頃から湿原の環境悪化が著しくになり、平成7年から平成22年にかけて、植物の保護を目的に調査や整備を実施し、平成22年から一般に開放されている。湿原をとりまく環境の改善も進んだため、様々な湿原植物の増殖及び復活が確認されている。

 川南湿原植物群落のくわしいページ

ニホンカモシカ 特別天然記念物 昭和30年2月15日  ウシ科に属するニホンカモシカは、九州では宮崎、大分、熊本の3県に分布しているが、生息地の環境悪化等に伴い、その生息数は減少傾向にある。昭和30年に特別天然記念物として指定され、絶滅が不安視されている。

県指定文化財

名称 種別 指定年月日 説明 
川南村古墳 年ノ森古墳 史跡 昭和14年1月27日

 川南村古墳は、前方後円墳1基、円墳11基の計12基の古墳が指定され、市街地から北西に位置する北原地区に主に分布していた。しかし、開墾等により原形をとどめるものはほとんどなく、既に9基が指定解除となっている。

 平田地区には2基現存しており、「猿子塚」(11号墳)、「年ノ森古墳」(12号墳)と称されている。

 ※画像は、年ノ森古墳(12号墳)

東平下2号方形周溝墓 東平下 史跡 平成16年9月24日

 弥生時代末期(300~400年頃)に作られたと考えられる方形周溝墓。唐瀬原台地の北東側にあり、昭和54年、耕作中に円形の黒色土が露出し、土器片が発見されたことから、翌年発掘調査が行われた。

 この周溝墓は、日向地方で最初に発掘調査されたもので、弥生時代終末期から古墳時代初頭にかけてつくられた古墳出現前夜の墓制の一つとして注目され、県内において史跡としての価値が大きい。

高鍋神楽 高鍋神楽の画像 無形民俗文化財 昭和44年4月1日

 高鍋神楽は、旧高鍋藩領に伝承されてきた夜神楽を総括して指す。

 高鍋町の八坂神社と愛宕神社、新富町の八幡神社、木城町の比木神社、そして川南町の白鬚神社・平田神社、以上の旧郷6社が連合して「大神事」に奉納されているもので、各社輪番の連合行事となっている。現在、白鬚神社は休止中。
  農村地帯の神楽が多く滅失した中にあり、この神楽の伝承は貴重な存在と言える。

 宮崎県文化財課のホームページ「みやざき文化財情報」では、高鍋神楽の六社連合大神事の動画を公開しております。15分版と2時間版の2種類がございますので、ぜひ 動画公開ページもご覧ください。<外部リンク>

町指定文化財

名称 種別 指定年月日 備考

川南盆踊り

多賀盆踊り

 川南盆踊り

多賀盆踊り

無形民俗文化財 昭和55年1月8日

 本町に残る盆踊りは、高鍋藩内で踊られていた盆踊りの流れをくむものであり、戦前は盛んに踊られていた。戦後一時衰退したものの、次第に復活し、町内の各地区で踊られていた。

 中でも多賀地区では、地区内に多く広まっていき、昭和30年頃に多賀盆踊り同好会なるものが結成された。のちに多賀盆踊り同好会と大内地区の盆踊りとで多賀盆踊り保存会が結成され、保存会活動が開始された。

 また、中央地区でも昭和47年頃に川南盆踊り保存会が結成され、役場の駐車場などに櫓を組んで踊られていた。

 昭和55年には、川南盆踊りと多賀盆踊りが町の無形民俗文化財として指定を受ける。

 平成20年には、町内各地区で踊られていた盆踊り(保存会)をまとめるため、各地区の保存会等に声かけがなされ、川南町盆踊り保存会が結成された。現在は毎年、旧暦の8月15日に川南町盆踊り保存会主催の盆踊りが実施されている。

無形民俗文化財 昭和55年1月8日
通浜三尺棒踊り 通浜三尺棒踊りの画像 無形民俗文化財 昭和55年1月8日

 房飾りの付いた願い棒が使われ、盆踊りの一つとして踊られている。踊りの構成はおよそ40人で、かつては集落をあげて盛んに踊られていた。昭和40年頃、三尺棒踊り保存会が結成された。

 通浜は、明治期に細島(日向市)からの移住者によって生まれた漁村である。そのため、漁業や風俗習慣に、細島との共通性が見られる。

登り口奴踊り 登り口奴踊りの画像 無形民俗文化財 昭和55年1月8日

 駄祈念の日に奴姿の若者が木刀や扇を持ち、歌や太鼓に合わせて踊るもの。

 口伝えによれば、旧高鍋藩主・秋月種任公の治世に、参勤交代に随行した山下松五郎が江戸で習い覚えたものを登り口地区に伝えたものとされている。

 明治~昭和初期まではさかんであったが、昭和12年から兵役のための招集により著しく減少したが、地元の女子青年の努力により踊り続けられ、滅失することなく継承保存されてきた。

 昭和43年に、奴踊り保存会が結成された。

沓袋百万遍 沓袋百万遍の画像 無形民俗文化財 平成5年10月25日

 沓袋地区に伝わる、無病息災を祈る行事。毎年8月頃と12月頃に2回行っている。

 お堂の中で、輪になって念仏を唱えながら10数mの数珠を鐘の音に合わせて順々に次の人に渡す、というもの。

 かつては病人が出るたび、夜通し行っていたが、現在は線香(ろうそく)が1本なくなるまで行っている。

天龍梅

天龍梅風景

天然記念物 令和4年4月1日

 天龍梅は、その枝を地に伸ばし、根を張る姿があたかも龍に見えることから、その名が付けられた。高岡の月知梅、湯之宮の座論梅と並んで、「県下三梅」と称されている。

 古老の伝えるところによると、徳川時代に西ノ別府地区にて発見されたのがその始まりとされている。明治時代、この梅の下の古塚を掘ると、白玉、管玉、金環、土器等が納められた石棺が発見された。それ以来、この梅は古塚の神饌木として植えられたと考えられ、地域の人々によって大切に保存されてきた。

 その後、天龍梅は現在の中央公園内に移植され、毎年2月11日を梅祭日とし、梅まつりを開催している。

未指定文化財

名称 種別 指定年月日 備考

後牟田遺跡 

後牟田遺跡中景

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 川南町の中心街から北に約1kmの舌状台地の先端部に広がる遺跡。

 平成5年から12年にかけて、6回の調査が行われた。

 中期旧石器時代~縄文時代早期の長い間、ほぼ切れ目なく人類が生活した痕跡が残っている。

 その歴史は少なくとも、約4万年から3万5千年前にさかのぼるとされており、宮崎県内では、最も古い人類の生活の跡が確認されている。

 南九州における旧石器時代の生活を明らかにするうえで、大きな手がかりとして注目されている。

 後牟田遺跡の詳しいページ

 宮崎県内の文化財情報について

宮崎県文化財課では、県内に所在する国・県の指定文化財の情報を、インターネット上でカテゴリー別に検索・閲覧することができる「みやざき文化財情報」や、県内の文化や歴史に関する情報を、デジタル化し公開している「みやざきデジタルミュージアム」などのウェブサイトを公開しております。

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